子供の頃は1年が長かった?誕生日という名の重圧。
皆さまご機嫌よう。
先週は私の誕生日でした。
私は、今でも忘れません。
6歳の誕生日の日のことです。
誕生日パーティーが始まる前に、一人で鏡に向かって髪を結いなおしていたことを覚えています。
鏡に映る自分自身を見ながら、私は6歳ながらに
「もう6歳か…人生って本当に早いな…。すぐ大人なるんだろうな…。」
そんなことを真面目に考えていました。
そして、実際にすぐ大人になってしまいました。
そして今現在は、すぐに30代、40代、50代…になるんだろうなという感覚が心にどこかにあります。ですので、そんな年齢になることもすぐでしょう。
”大人になってから、時間の流れが早く感じる。”
そのような言葉を頻繁に耳にするような気がします?
何故か?
同じ一年でも
5歳の子供にとっては人生の20%。
50歳の人にとっては、人生のたった2%
そう考えると少し納得出来るような気もします。
さてさて、先週は23歳の誕生日。
こちらの寮に入居した際、書類に誕生日を記入したため
私のフロアのアシスタントは、私の誕生日1週間前から
アシスタント:「もうすぐ誕生日だね!exciting??何するの??」
といった感じで質問攻め。
私:「もう23歳だし、excitingではないかな…多分友達と出かけるかな…」
アシスタント:「え?バッハマン、23歳!?!?見えない…!まず肌の質感が23歳ではない!」
私:内心(私にも貴女が年下には全然見えない…)
まぁ、そんな感じで、とにかく誕生日なので何かをしなくてはいけない気分にさせられました。
イベントごとって、名前で殴り掛かってきますよね。
誕生日、クリスマス、お正月、バレンタインデー、記念日 etc...
私だけでしょうか、イベントごとの概念に捕らわれ、
その日の、行動自体には満足しているのに、
イベントの概念に照らし合わせると、満足出来ない…。
例えば、もっと若かった頃、以前の彼氏と誕生日に京都旅行をしました、
私は特別なディナーを想像していたわけですが、何も計画していなかったようで
道端の古く、テーブルは脂でベトベトとお好み焼き屋に連れていかれました。
大抵、古くて、テーブルがベトベトのお好み焼き屋さんって、
美味しいですよね。
それなのに、私は怒って最終的に泣きました。
なんて人間だ…。
それも、誕生日という概念に縛られたゆえに
そんな結果になったのでしょう。
まぁ、そんな感じで今年の誕生日も少し特別なことをしなくてはいけない使命感と、何かを少ししたい気持ちにかられ、友人らと外食しましたとさ。
概念の中ではなく、その経験自体の中に生きてゆきたいです。
カントさん(恋人・仮名)に、2年前(まだ私たちが出会う前)の誕生日に、何かした?と聞いたところ、
恥ずかしそうに
「すみません…2年前の誕生日は、貯金しなくてはいけないのに、パルメザンチーズ買って食べました。(〃´∪`〃)」
とおっしゃっていました。
可愛すぎやん。
去年は、板チョコと詩をプレゼントしてくれたカントさんでした。
ご機嫌よう。