「女の子なんだから顔に傷があったら大変だ」そんなおじいさんの言葉に逆らう孫
女はこうするべきだ 男はこうするべきだ 女らしくない… そんなの男らしくない
まぁそういう類の言葉が嫌いである。嫌いというか、消滅すべき表現だと思っている。
誰かが何かをしたり、そうあるべき理由は性別には関係していないと思うからだ。
日本語を話す場合、そのような言葉が浸透しすぎているようにも感じる。勿論、日本に限った話ではないが。悪気がないからといって、許されるものでもないと思っている。それでも、やはり身近な人の発言を指摘していくのは、居心地の悪さも伴うし、あまり楽しいものでもない。しかし重要だと思っている。
例えば、私のおじいさんはある時、怪我をした私の顔を見て
「女の子なんだから、顔の傷早く治ると良いね。」
と心配そうに言ってきた。あまり、そういう言葉に過剰反応しない人であれば、おじいさんは優しく思いやりのある人間に思えるのだろう。
しかし私の場合、「え?女じゃなかったら顔に傷ついても良いってこと?」「顔に傷があるだけで、女としては失格なの?」「女の価値は顔だけなの?」と思ってしまうのです。
それを直々おじいさんに伝えたとしても、なんてひねくれた孫なんだという程度にしかならない。
おじいさんが何気なく心配して、良かれと思ってかけた言葉にも、様々な文化背景や男尊女卑の価値観が含まれていると思うのす。なので、それを指摘しないわけにもいかないと思うのです。
「ありがとう。早く治るといいわ」なんて優しく呟いておくのが一番簡単であろう。しかし、そうであったらいつまでも過ちは修正されない。お年寄りのおじいさんではあるけれども、男女平等の価値観を学んで欲しいと思う。またおじいさんの言動は子供や孫、周囲の人間に影響を与えるわけだから、間違いに気づいてもらう必要があろう。
こういう発言はお年寄りに限ったことでもない。私と同年齢で、男女平等が勿論重要だと考えている友人でも、そのような発言をしているのを見受けることが多々ある。
例えば、彼氏がよく泣く人だと「女々しい彼氏」だといって愚痴を言う。
男の人が、大きな声を出して泣いたって良いじゃないかと思う。頭の中に、固定概念があると、物事の本質を吟味せず、自動的に「悪い」「良い」と判断してしまうのが人間なのだろうか。
信頼関係が築かれている友人には、直接そういう表現は良くないと思うと自分の意見を伝えるようにしている。ほかの場合は、何気なく「別に男だからってそういわなくても良いんじゃないの?」と何気なく伝えている。
自分の意見を他人に強制するのでなく、とりあえずは自分の無意識に気が付いて欲しいと思っている。逆に、私の無意識で行っている男尊女卑、人種差別etc...的な発言もバシバシ他人に指摘してもらようにしている。
一瞬居心地の悪さも伴うが、重要な一歩だと考えている。
御機嫌よう。