異郷からの少女

複雑性をこよなく愛する、意外と単純な人間。フェミニスト🌱Why not?

だらしがなくても、貧乏でも、地球のために出来ること①お肉を基本的に食べない

ご機嫌よう。

前回、私が小学生の頃から「地球はいつか滅びる」と思いながら生きてきたことについて触れた。

そうやって私は「地球はいつか滅びる」とネガティブに考えながら、環境問題を直視しないで生きてきた訳である。けれども、完全に無責任な行動をしてきたとも思っていない。いや、年に何回も国際便に乗って大量の二酸化炭素を撒き散らしているだけで、十分無責任。

そんな矛盾を抱えながらも、私がこれまで地球のために日常生活で取り組んできたことを少しずつ紹介したいと思う。

 「エコな生活」と聞くと、どうしてもお財布に余裕のある人が片手間に、ステータスのためにやること…。あるいは、とっても自分に厳しくて、自制心がしっかりしている人が送る「丁寧な暮らし」…なんて思う人もいるかもしれない。

f:id:transparentyflat:20191012071446j:plain

Photo by Bailey Heedick on Unsplash

けれども実は、「エコな暮らし」というのは極めてシンプルで、実はあまりお金がかからない。上手くいくと、普段より安く済むこともあるだろう。

そこらへんの関係性は今度どなたかに調査していただきたい。「エコな暮らし」に対するステレオタイプとか、実際どのくらい金銭的な差が出るのかなど。

ではでは、今週から少しずつ説明していきたいと思う。

今回は私が基本的にお肉を食べないことについて。

なぜお肉を基本的に食べないのか

f:id:transparentyflat:20191012072515j:plain

Photo by James Hammond on Unsplash

ここ三年ほど、私はほとんどお肉を食べていない。自らお肉を買うことは全くない。詳しい理由や情報は「畜産業、温暖化」"Reasons to go Vegan"などと調べれば山ほど出てくる。私がお肉を食べない理由は、多くの人がヴィーガンベジタリアンになる理由とほぼ同じ。

ただここで、簡単にお肉を食べない理由を述べるとするならば、

①畜産業による温室効果ガス排出量が非常に多いこと

②おそらく私は動物が食肉になるまでの過程を直視することが出来ないという現実

を主に挙げることが出来るだろう。

まず、①について。

先日、環境相に就任したばかりの小泉進次郎氏が、国連気候サミットが開催されたニューヨークにてステーキを食べに行ったとか。なんとか。もうそういうことに一々反応したり、落胆している元気はバッハマンには御座いません。

むしろ彼があのような行動を取ったことで、「なぜ牛肉を食べることが環境に悪いのか」という議論をようやく日本にも持ち込み、少しでも理解が広まるきっかけになったのではないかとも思えてしまうのです。ここはポジティブにね。

APの畜産業に関する記事によると、

メニューをビーフステーキからサラダに変えるだけで、車を数日間使わなかった場合と同程度の二酸化炭素(CO2)排出を抑制できる

ウシが食用処理されるまでに食べる穀物の量や、ウシのたい肥から発するガスなどを見ていけば、牛肉にかかっている本当のコストが明確に分かる。例えば牛肉1キロの生産過程で排出されるCO2は重さ16キロ相当で、同じ1キロの豚肉生産の4倍、鶏肉に比べれば10倍以上だという。ペルティエ氏は、牛肉から鶏肉に変えるだけでも、排出ガス量は70%削減出来る

とのこと。お肉(特に牛肉→豚肉→鶏肉の順)を控えることで、かなり二酸化炭素排出を抑制することが可能です。それだけお肉の生産過程では大量の二酸化炭素が排出されているということ。なので食べません。

しかも、お肉って国や地域にもよりますが、牛肉豚肉鶏肉の順に値段が変わってきますよね。すなわち、生産過程で二酸化炭素が多く排出されるお肉ほど、高い。そうであったら、地球とお財布のためにお肉の摂取量を減らしたり、どうしても食べたい時に少しだけ食べるというのも良いかもしれません。

また、赤肉(牛肉・豚肉・羊肉)は国際がん研究組織(IRAC)によって、「おそらく人に対して発がん性がある(Group2A)」と判定されています。ちなみに、加工肉は「人に対して発がん性がある(Group1)」と疫学研究の十分な証拠に基づいて判定されているとのことです。

 そうであったら、お肉の摂取を控えて「地球」「健康」「お財布」に優しい食生活を行うのも良いと私は考えています。

次に②の私が動物がお肉になるまでの現実を直視出来ないだろという現実について

f:id:transparentyflat:20191012082716j:plain

Photo by David T on Unsplash

私は高校時代南米に留学していた経験があり、留学先で「何で日本人は鯨を食べるんだ」「犬食べるのか」とかそういう質問を沢山聞かれた。それをきっかけに、動物を食べるとはどういうことか、少しばかり考えてきたわけである。

まず、絶滅しかけている動物を食べることには全くもって同意出来ない。ただ何かしらのお肉を食べる人であれば、犬を食べることを非難することは出来ないと思っている。

まぁこれは他の議論。

私は幼少期、山の中で育った。幼い頃から、父と一緒に狩猟へ何度も行ったことがある。そこで、動物が(主には鹿)どのように殺され、解体され、お肉になり、それが食卓に上るかを見てきた。

6歳程度の私が「可愛い可愛い」とはしゃいで眺めていたカモを、知り合いのおじさんが撃ち殺して、それを鴨鍋にして美味しく食べた経験を今でも覚えている。鴨鍋を出された時、最初は悲しすぎて食べることを拒絶していたが、食べないのも勿体無いなと思い(笑)全力で、そのお鍋楽しみ有り難くいただいた。

そんな、「動物を自らの手で殺し、食べる」という現実を私は目にしてきたし、それをどうにか直視することが出来る。(多分過去形、出来た。今はもう無理だと思う)

けれどもスーパーでパックに詰められ並んでいるお肉を見た時、どれだけの人が、その牛やら豚やら鶏が経てきた過程を想像することが出来るのだろうか。というか知っているのだろうか。恐らく、私にはその現実を直視することは出来ない。

だから食べません。自分が知らないところで行われている現実を無視してまで、お肉を食べる価値を私には見出せないということです。

もしまた田舎に住んだり、無人島でサバイバル生活をした場合、どうにか自分の手で動物を捕まえて、殺して、解体して食べるかもしれませんが、そこまでしてお肉を食べたいという気持ちもあまりないかもしれません。

f:id:transparentyflat:20191012082030j:plain

Photo by David T on Unsplash

つらつらと色々書きましたが、最後にお肉を基本的に食べないことについて。これも私の矛盾している点で、あまり他人に対して「私はお肉を食べない」ということを堂々と言えないのです。言ってしまうと、他人に何かを強制している気持ちになってしまう。もちろん、近しい人には丁寧になぜ私が肉を食べないのか説明している。

けれども、調査地などで初めて会った人に対してレストランでいきなり「私肉食べませんから」とは言えない。調査地である沖縄なんて行くと、皆良かれと思って美味しい豚肉を食べさせようとしてくれる。そんな時に、頑なに一口も食べないのは私のポリシーに反しているような気がするのです。

f:id:transparentyflat:20191012083229j:plain

Photo by Rux Centea on Unsplash

オープンな人間でありたいがゆえに、「肉を食べない」という強い意思表示をあまりしたくない。けど、それを表示することで他者の理解が深まるきっかけにもなるとは思う。私がお肉を食べなくなったのも、周りにそのような考え方の人がいたから。

言わないと理解してもらえないので、今年?(もうすでに十月…)からはそれをしっかり、そして上手に伝えられるように練習していきたいところです。

ではでは。