異郷からの少女

複雑性をこよなく愛する、意外と単純な人間。フェミニスト🌱Why not?

生理ナプキンに灰色のレジ袋はいらない

 

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Photo by Erol Ahmed on Unsplash

子どもの頃から不思議だった灰色の袋

私は幼い頃から、不思議だった。母が生理ナプキンを購入すると、必ず紙袋や灰色のビニール袋に包んで渡されるのを見て疑問に思っていた。何でわざわざ見えないようにしているんだと。

生理は穢れたもの?

この謎のレジ袋がどこからやって来たか突き詰めると、おそらく生理は「穢れ」だという月経に対する認識にたどり着くだろう。江戸時代頃までは、日本でも生理中は調理場に入れなかったり、月経小屋と呼ばれる場所に入っていなくてはいけないとう慣習があった。

余談ではあるが、現在もそのような月経慣習が残っている国や地域がある。国際社会はこのような月経慣習を規制する方向にあるが、それが逆に隠れたところで、より危険な月経慣習が行われるのを促してしまっているという話も聞いたことがある。簡単によその地域の人々に強制・助言されたからといって、そんなに簡単に慣習は無くならない。し、無くならせるのが良いとも限らない。

本当にその袋必要?

流石に今の日本で、生理になって月経小屋に入れられたり、生理中だからと言って差別されることは少ないだろう。生理は穢れであると即座に結びつける人は少ないかもしれないが、実は「生理=穢れ」という認識は現代社会の至るところに残っていると思う。その一つが、生理用品を買った時に入れられる灰色の袋ではないだろうか?

別に薬局の店員さんが「生理は穢れ、恥ずかしいもの!」と思って、生理用品を灰色の袋に入れているわけではないだろう。「生理ナプキンを購入する人がいたら、この袋に入れるように」と決められたルールを守っているだけにすぎない。それに、そのルールを作った人だって、生理についてそんな強い意見はないかもしれない。

「袋いらないです」の一言、結構大切?

日本では、生理用品を灰色の袋や紙袋に入れないと「失礼な行為」に当たってしまう。誰が生理用品を灰色のレジ袋に入れ始めたのかは分からないが、その慣習が根付いてしまった現在、お店側はそれを続けていくのがローリスク。そうなると、結局このような生理に対する「穢れ」というネガティブなイメージ変えることが出来るのは消費者だろう。

生理用品を購入した時に「袋いらないです」ってお客さんが増えたら、そのうちお店側も、生理用品は特別な包装をするってルールも慣習もなくなるんじゃないだろうか。

私は生理用品を購入する時、紙袋も灰色のレジ袋ももらわない。レジ袋が有料になってからは、あまり驚かれることも少なくなった気がするが、以前は「袋大丈夫です」と言い、「え?」って顔をされる時に喜びを感じていた。一瞬でも「何であの人袋いらないんだろう」って疑問に思ってくれたり、そこから「そもそも何で生理用品をこんな灰色の袋に入れるんだろう?おかしくない?」って問うきっかけににもなるんじゃないだろうか。そんな淡い欲望を抱きながら、「袋いらないです」と言い続けている。

生理用品をわしづかみにして、時には恥ずかしさを感じつつも、堂々としようとしている。なぜなら、私は生理は恥ずかしいものでも、穢れたものでも、隠すべきものでもないと思っているから。

先日も、生理用品を袋なしで受け取った。男性の店員さんがドキマギしつつも、「レジ袋利用していないのでエコポイントつけますか〜?」と、聞いてくれて微笑ましい気持ちになった。

簡単には消えない「穢れ」の感情

私は初潮を迎えた時、恥ずかしくて仕方なかった。周りの同級生が生理になったという噂を聞くたび、いつ自分が「生理」なるものを迎えることになるのかハラハラしていた。友達の中には、生理が恥ずかしすぎて、使った生理ナプキンをタンスの中に隠していたという人もいる。

一体私がどこで生理に対する穢れ・恥の意識を学んだのかは分からない。あの生理用品を包む、灰色のレジ袋がそうさせたのかもしれないし、そうでもないかもしれない。生理は身体的に過酷なものだ。生理が来ると、日常生活を送ることが難しくなる時だってある。だからこそ、少しでも変えられるところは変えて、気持ちよく生理を迎えたいもの。袋いらないです〜。