異郷からの少女

複雑性をこよなく愛する、意外と単純な人間。フェミニスト🌱Why not?

日常に存在する人種差別:中野で「外人」と呼ばれる

ご機嫌よう。今回は単なる愚痴。

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Photo by Olesya Yemets on Unsplash

幼少期と比べると、日常生活で「嫌な人」「危害を与えてくる人」と関わる機会が格段に減った。何なら、私が普段接する人の大半は、共通の価値観を持っている。

似通った考えを持っている人とだけ、つるんでいるのは危険だと思う反面、そのような空間は居心地が良い。

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Photo by Vonecia Carswell on Unsplash

まぁと言っても、大学院やアルバイト先、属するコミュニティーには、勿論私と異なる考えやビジョンを持っている人がいるのも現状。全く同じような人間なんていない。けれども、これらのコミュニティーで言葉で攻撃されることは、これと言ってない。

大学院に入る前はアカハラアカデミックハラスメント)とかも心配していたけど、そのようなことは、往往にして出来る環境ではない。ありがたいことにね。言葉に敏感な人が多いので、差別的なことを公の場で言ってる人も目にしない。

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Photo by Mat Reding on Unsplash

そんな空間でぬくぬくと生活している私。

差別については、昔こんなこと書いたっけ。一番、許せない発言をするのは祖父母だったりもする。


そんなぬくぬく環境で生きているからこそ、先日「外人」と見知らぬ人に言われて非常に驚いた。

その日は中野で友人とコーヒーを飲んでいた。

友人は日本国籍ではない。金髪でまぁ、眼が青かったりする。日本語が非常に流暢で、私たちは日本語で会話を楽しんでいた。

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Photo by Clifford Yeo on Unsplash

するとある常連らしきお客さんが、私たちが座っていたベンチの下に灰皿を忘れていたよう。そのお客さんは、ベンチの下から灰皿をとる時に

「ああ、外人の近くに私の灰皿置いちゃった。いけない、いけない…」

と呟いていた。

私は呆然。友達は、そのようなことに慣れているようで「あ、すみませんね」と笑いながら言っていた。

友達が少し日本語を話すと、その人は

「外人なのに日本語話せるんだ。あ、日本生まれ?」

と聞いてきた。

また、私呆然。呆然。

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Photo by Joseph Gruenthal on Unsplash

私がびっくりしている様子に気が付いたのか、今度は私に「あなたも外人?中国人?」と聞いてきた。

真面目に答えたくもないので「知りません」とだけ言うと、

「は?自分の国籍知らないってどういうこと?💢」

と逆ギレされた。

面倒なことになりそうだったので、私たちはその場を去った。

私は苛立っていた。友達は苦笑いしていた。

デリカシーがなさすぎる。そもそも「外人」!?、あなたの灰皿なんて知りませんよ、しかも人の国籍いきなり聞いてくるって。

そんなことを思っては、イライラしていた。

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けど後になって私たちは大事な機会を失ったことに気が付いた。確かに、私たちに色々言ってきた人はとても差別的で、失礼極まりないと思う。

けれども、そんな人に目くじら立てても仕方ないのかもしれない。散々社会学だの学んできて、道で出くわした差別的なおばさん、一人に対して社会で何が起きているのか説明することも出来なかった。説明なんて大それたことをする力量は私にはないかもしれない。けど、最低限議論したり、知ってもらう良い機会だったかもしれない。

次そんな場面に出くわしたら、とびきりの笑顔と丁寧さ+懐の広さで、相手と話す努力をしてみようと思う。正論で戦うのがいつも得策という訳でもないだろう。

今日はここまで。バーイ🌱