透明と平等 時々嫉妬

複雑性をこよなく愛する大学院生。フェミニストクラブに気ままに所属。南米・米国長期留学経験有り。透明と平等を重要視した国際恋愛中。

大学院生って自由で孤独

御機嫌よう。

あと一週間程で夏休み。元気な頃の私が色々と予定を詰め込んだため、ほとんど休みなし。それはそれで良いのかも。

最近は、絶対に出かけなくてはいけない用事がないと出かけなくなってしまった。出かければ必ず気分は晴れる。けれども、出かける前は億劫に感じてならない。天気のせいもあるのかな。よく考えてみると梅雨の時期を日本で過ごすのも久しぶり。ロンドン辺りの大学院(博士課程)へ進学しようかなとか考えていますが、数週間の曇りでここまでメンタル弱ってる私には無理でしょうか・・・。アメリカ留学時も、マイナス30度前後の日々が続いていた頃は、落ち込んでたな。基本的に色んなことに敏感なんです。

さてさて。

「自由」と「孤独」について。

そもそも絶対的な自由意志なんてものは存在していないと思っていることを前提にお話させて下さい。

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院生になってからというものの、これまで以上に自由度が増したと思う。研究科の風通しは非常に良く、心配していたようなアカデミックハラスメントの「ア」の字もない。大学院は二つ異なる大学の研究科を受験したのですが、進学しなかった大学院の教授からは、合格発表直後にメールで連絡がありました。もうそこから緻密な計画がなされた指導が始まっていたような。そちらの大学院へ進学していたら、自由度は低かったと想像する。

反対に、現在の指導教官はいつも

「自分で色々な先生や研究科に顔出してコネクション作りなさい〜」(笑顔)

という感じで、まぁ言ってみると放置状態。自分が何か相談したかったり、研究に進展があったら報告しにいく程度。ゆるい。

私もワガママだなとは思います。実際、色々つべこべ言われるとプレッシャーを感じたり、自由がないと嘆くのでしょう。けど、現在のように放置されると、それはそれで心配というこの葛藤。笑

授業も、手を抜こうと思えばいくらでも抜ける。文献をどれくらい読み込むかは自分で決めることが出来る。成績も結構簡単にくるらしい。勿論、手を抜くつもりはなくても、手を抜いても大丈夫という条件下で、手を抜かないで全力で取り組む選択をするのは時に難しかったりする。

 研究だって、誰かに強制されてやっているわけでもない。私はかなり要領が悪いので、早めに修論を書き始める必要がある。しかし、周りの先輩方はとても優秀で器用な方が多い。博士の先輩と話していると、時々「一ヶ月間で書いた hahah」なんて言ってる人もいる。それは私には出来ない。そうとは分かっているものの、そのような人に囲まれて過ごしていると、自分で決めた目標を達成するための努力を怠るようになる。

全ては自分自身の裁量に任されていて、院生はとっても自由な存在に思える。少なくとも私の研究科の場合。

初めの頃は、好きなことを好きなだけ出来る特権が有り難くて仕方なかった。けれども、自由で誰からも強制されずに何かをやるということは、自分で制限を設けないと、いつまでもそれをやり続けることが可能ということだ。最近そんな状況に陥っていた。朝起きたら、枕元にある本に飛びついたり。何かを読んでいないと心が落ち着かない。家族や友人と「お馬鹿」な話をしていると、してはいけないことをしている気分になってしまう。そんなんで過食の症状も出てきたのかもしれない。

自由っていうのも難しいものだなと感じている。

大抵の人は学部を卒業していきなり研究の世界へと放り込まれ、闇雲にこの自由と葛藤しているのかもしれない。社会人となった友人らは、自分が好きなことを勉強する時間があって羨ましいと言う。その通りだと思う。

けれども、何も考えずに誰かから言われたことを淡々とこなす、自由がない生活も楽なんだろうなとか思ってしまう。