異郷からの少女

複雑性をこよなく愛する、意外と単純な人間。フェミニスト🌱Why not?

いじめられていた頃の通学路を数年ぶりに爆走した話

御機嫌よう。一時帰国中に、実家へ二週間程帰省していました。

このブログからも伝わっているかもしれませんが、私は結構奇想天外な人間なのかもしれない。南米や、米国に居る時はそんなことは言われないが、日本に居るとよく「変わった人間」とか、良く言うと「人と違って面白い」と言われることが多々ある。

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今は、自分の日本社会に順応しないような異質性も、自分の一部として愛せている。そして、私の周辺に居る人々もそれを面白がり、そして愛を持って受け入れてくれていると思う。

辛かった中学時代。トゲトゲした一匹オオカミだった私

自分の個性を自他ともに認めてもらうようになるには、高校進学(16歳くらい?)まで時間がかかった。

元々、都内で生まれ育った両親は、子供を大自然の中でのびのびと育てることが夢であった。まぁ色々あって私は日本のとある超田舎町で育ったわけである。

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このレベルの田舎

高校で留学をするまでその土地で育ったわけであるが、それは私にとってかなり辛い経験であった。勿論、ポジティブな思い出も沢山ある。都内で生まれ育っていたら、それはそれなりに問題があっただろう。

詳細は割愛させていただくが、私は小さな中学で気が付けば孤立した存在となっていた。授業の議論に積極的に参加すると陰口をたたかれた。英語の発音が、本物っぽいと馬鹿にされた。

そして私自身も、ろくに勉強をしないクラスメイトを軽蔑していた。刺激を求めていた私は、クラス内のゴタゴタした実情と、私の憂鬱な中学生活をほぼノンフィクションで小説にし、地元の新聞社に送りつけたりしていた。(佳作か何かを受賞して、新聞半面に掲載された。過激だ。笑)

クラスメイトの大半は高校受験にも力を入れない人が多かった。地元に残る人も多く、私はそんなクラスメイトと同じような人生を送りたくなかったし、一緒にされたくなかった。今思えば、彼女・彼らの両親も同じような人生を送っており、私が両親から与えられてきたような選択肢や教育は受けていなかったと思う。私がクラスメイトを軽蔑する権利なんて勿論なかった。子供だったと反省している。

私をいじめてくる女子の彼氏を横取りしたり、私はとにかく反感を買うような行動を起こしまくっていた。

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最終的に不登校になる。給食だけ食べに学校へ

中学校卒業の数か月前、私はついに不登校になった。今思えば、自分で自分の首を絞めていた。とにかく、人を軽蔑し、田舎の価値観に歯向かっていた。クラスメイトが、怒るのも当然だ。

学校へ行っても、苦しいだけなので自宅で受験勉強に励んだ。まぁ、私を心配してケーキなんかを持ってきてくれる優しい人もいた。出席日数が足りなくては困るので、給食だけ食べに登校したりしていた。

高校進学後のハッピーライフ

高校進学と同時に、他の大きい街へ進学した。中学校で何を間違えたのか、私はよく理解していた。まぁ高校では、尊敬出来る友人にも知り合うことが出来た。また私の個性を丸出しにしても、問題にはならなかった。むしろ、面白がられた。

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今思い返すと、まぁどっちもどっちだったかなと思う。私は、クラスメイトを軽蔑していたし、トゲトゲしていた。自分が信じるものを確立するために、他の者からの影響を極力排除したかった。

クラスメイトは、異質な存在に居心地の悪さを感じていただろう。そして和を乱す私の存在が気に食わなかったのだろう。

久しぶりに通学路を爆走してみた

先日帰省した際、私は自転車で以前の通学路を自転車で爆走してみた。そもそもは運動のために自転車に乗ってみた。都内の風景とも、米国の留学先の風景とも全く違う香りや、景色が広がっていた。

そこには、もがき苦しんでいた以前の私の姿が見られた。

今、自由に世界中を飛び回り、大切な人に出会い、大切な人を大切に出来る環境にある自分の人生を感じて、何だかこの上ない幸せな気持ちになった。

今日も良い日を。