異郷からの少女

複雑性をこよなく愛する、意外と単純な人間。フェミニスト🌱Why not?

アメリカ留学 良いように使える友達…?

御機嫌よう。

 

友達の定義って人によって異なると思います。

 

便利なので「友達」という言葉を使いますが、そもそも他者を言葉でカテゴリー化すること自体あまり意味がないような。友達は友達でも、それぞれの友達と特別な関係があるわけですし。

 

そんな、私の友達の概念はさておき。

 

米国留学も4ヶ月目に突入致しました。今回は、私の周りにいる留学生達の友達観について考察したいと思います。

 

私が留学生であるということ、新入生向けの授業を履修しているため、知り合いの8割は留学生かフレッシュマン(新入生のアメリカ人)です。

 

全く知らない土地で、一から人間関係を築いていくわけですから色々ドラマがあるようです。

 

私の留学の主な目的は、

・米国にて長期間に渡るフィールドワークをすること

・今後移民研究をしていく上で必要となるアメリカ側の視点を獲得すること

 

ですので、友達を作ることにはあまり重きを置いていません。

(それでも、一人位気の合う友達が出来たら良いな…なんて思っていますが難しいところ)

 

それでも、知り合いから色々と人間関係に関するゴシップを嫌でも耳にします。

そんな中で一つのワードがぼんやりと浮かんできました。

・使う 使われる 使われたいです。

 

自分の価値と「使う」「使われる」「使われたい」etc...が貨幣のように取引されているように私には思えるのです。

 

何を言おうとしているのかといいますと…。

 

(例)使うの場合

「彼女は車を持っていて、ウォールマートとかに連れていてくれるから友達になっておいたら便利」

 

「あの人はアメリカ人で顔も広いから、友達になっておいたら知り合いが増えそう」

 

「ホリデーの時、彼女の実家(アメリカ人)で伝統的な夕食が食べたいから友達になっておこう」

 

「課題手伝ってくれるから友達になっておく」

 

とか。とか、とか。

そういうことを公言している人が少なからずいるのです。

 

(例)使われるの場合

 

「お酒を買って来てと言われた」(21歳以上なので)

 

「友達を横取りされた」(横取り…?)

 

「あの人は私のルームメイトに気があるので、私に近寄ってきた。使われた」

 

とか、とか…。

 

(例)使われたいの場合

 

やけに、他人に物をあげたり、時間を費やしている人が居ました。

私は自分のことや、少数の大切な人にしかあまり時間を割きません。

そのため、彼女が何故そのような行動が取れるのか疑問に思っていました。

 

ある日彼女が、他人に時間を費やしすぎて自分のやるべきことが終わらない。

ストレスを感じていると愚痴を漏らしてきました。

 

そうであれば、他人へ捧げる時間を減らしてみてはと提案したところ

 

使われることで、自分に少しは価値があると分かる。

自信がないのを、使われることでカバーしている。

他人に貢献することで誰かに好きになってもらえるかもしれない。

 

なので、使われることを止めないと呟いていました。

 

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

地位や権力を目当てに、他者に近づき使う。

使われたと言って、腹を立てる。

その人自身の問題に興味はないが、自身をつけるために使われる。

 

それって友達なのか?

 

とここ数か月モヤモヤしていました。

 

そこで私が友達と思っている人と何故友達になりたかったか、友達で居たいのか考えました。

 

・話したいこと、聞きたいことをお互いに共有出来る

・居心地が良い

・学びの機会

・視野の拡大に繋がる

・嬉しい

 

などなど。

こう考えると私も友達を無意識で使っているし、使われているんですよね。

ただ、使うことが初めから目的であるわけではなく、友達で居る理由を探したらこれらの理由が浮かんだけなのかもしれません。

 

私の場合、友達に求める明確なチェックリストが存在している訳ではない。

「使う」という貨幣は友達について絶対条件ではない…?

 

だからこそ、「使う」という概念を基軸に友達を選択する人々に違和感を抱いていたのかもしれません。

 

それは決して、悪い・良いの判断が下るものではないと思います。

 

要するに、先にも述べた通り

”友達”の概念って人によって全く異なるのではないのでしょうか。

 

そして、私のモヤモヤは異なる概念に対する驚きから形成されていたのでしょう。

 

ふむ。

 

結果、「世の中には色々な概念・価値観がありますね。」そんな言葉に辿り着いたバッハマンでした。

 

~おまけ~

今日はDía de muertosの日なので (死者の日)

死者の日 (メキシコ) - Wikipedia

フェミニストクラブでメキシコ風ココアを作りましたとさ。

唐辛子入り…スパイシーでした。

f:id:transparentyflat:20171103152609j:plain

 

砂糖断ちしたとか公言していましたが、マシュマロにまんまと負けました。(それにしても入れ過ぎでしょう)

 

地道に頑張ることに致します。

 

transparentyflat.hatenablog.com